束ねる力

2004年3月2日 脳内散歩
今日はjethro tullの世界とともにダラダラ書きます.

扇風機があるのに電源を入れない夏真っ盛りに雫汗をかきながら聞きたい類の曲がTullには多いです(もちろんエアコン普及前の世界をイメージしながら).今日の東京は雪でしたが.

仕事帰りに高津の古本屋に寄りました.変わらず未整理/未分類の書棚と床一面に積まれた書物の建造物が何とも特徴的な本屋ですが,品揃えが結構好きなんです.今日は,アポリネール『腐ってゆく魔術師』を発見して嬉しくて即買しました.状態は,ぼくが3歳の時に印刷された初版(特に初版にはこだわりませんがなぜか少し得した気になります)ということを考慮すると比較的良い方だといえるでしょう.

アポリネールといえば,ぼくは「カリグラム」という文字遊び詩集をこよなく愛していますが,小説/散文の方もたまに読みます.いずれにおいても,何よりもまずそれらの題名に居た堪れなくなります.代表作(?)「虐殺された詩人」もはじめはジャケ買いならぬ題買いしたものでした.なので今日の高津の書棚においてもオートマトン的題買いでした.世界の巨匠達の間に潜む数センチの裂け目から,明らかに「今まさに腐っているところだぞ,永遠に腐っているところなんだぞ」という灰汁の強い自己主張,というよりも逃げ馬不在時の押し出され逃げ馬,による静電気力がはたらきかけてきました.あー,読むものがいっぱいだ.

いろんな本屋に行きますが,通勤経路上,三越前駅前のタロー書店と渋谷ブックファースト,旭屋書店には良く行きます.早く仕事が終わった時は日本橋の丸善(店内でケーキを紛失中の元同僚にばったり会ったいつかのメリークリスマスイブ),八重洲の八重洲ブックセンターにも足を運びます.青学付近のABCにもたまに行きます.良く行く古本屋は,前述の高津駅前の松屋裏書店(品揃え良し),東京駅地下のローソンとマックの近くの書店(オネエさん良し),自由が丘駅南口出て左すぐの書店(昔は良かったんだけど…),青山ケンネルの近くの2件(ちょっと前までケンネルのワンニャンをみるのが癒しとなっていたが,いつしかみせてくれなくなっていた),神保町もたまにいきますがうまく説明できません.

最近とてつもなく品揃えの良い穴場を見つけました.名前を失念しましたが,蒲田の駅ビルの5Fか6Fにある本屋のことです.お隣の川崎のどの本屋よりも,否,川崎市+田園都市線に存在するどの本屋よりもこの蒲田の本屋の品揃えに感激しております.

コトバを買い続ける日々は留まるところを知りません(借りることもありますが).昨年8月にTVの電源がONにならなくなってからというもの,ぼくの,自宅における外的刺激の50%をコトバが占めるようになっています.書くことにしても読むことにしてもです.以前は,映像/言語/音が丁度33.33333%ぐらいの割合で共存していたため,比較的人間らしい人間としてのぼくが形成されていたはずなのですが,このところの戦力分布の大幅な更新により,今摂取している映像情報が単なる生きるための手段にしか過ぎなくなっているという現象(車が来たら避ける,ビールの銘柄を選ぶ,電車の行き先を確かめる等)を楽しんでいるところです.

しかし,今度結婚する先輩から終にTVを譲ってもらうことが決まりました.こう書くとぼくがTVを買えないくらい生活に困っている人だと思われるでしょう(1万5千円ぐらいだせば最低限のTVは買えます)が,そんなことはありません,自分でも未だに実感がわきませんが一応働いていますし.家が寒くてTVのある階下(というかロフト下)に長時間いれなかったのです.エアコンが…ってここまで書くとダメ人間をダメ押しすることになるので控えます.

つまり,今のぼくにとっての"自宅"とはビールを飲むところであり,日記を書くところであり,シャワーを浴びるところであり,自涜するところであり,わずかに寝るところであるといった簡素なものなのです.自宅では飯を食ったり書を読んだり風呂に入ったりビール以外の酒を飲むことはあまりしません.

コトバはしばしば"言説"だとか"ディスクール"などと呼ばれますが,こういうラベルで明示された場合のコトバは束ねる力としての人間による発明品として考えると面白いです.多くの人間が同じような束ね方をしているラベルもあれば,てんでばらばらに束ねられるラベルがあります.他人の束ね方を許容ないしは理解できる人間同士は「同じ言語ゲームに属する」などという言われ方もします.この言語ゲームを単位にした分類の試み(言語ゲームとは無関係の分類ももちろんたくさんあるでしょう)は古くから行われてきたことですが,分類づけにはいくつか(それは畢竟無限だということが判明するのですが)の"層/レベル>>アスペクト"を設けることが可能です.たとえば,ベンゼンとフェノールを分類したいならば,相応に十分な分析が必要です(しかし,人間はどのようにして「相応に十分だ」という判断を下すことができるのでしょうか→畢竟それらは近似に過ぎないということが判明するでしょう.妥当か否かという判断とは別の話で).ところで人間は有史以来人間自身を分類する試みを続けてきましたが,どうもぼくには成功しているように思えません.相応に十分な分析に至っていないからでしょうか?部分的にはそうでしょうが,これ以上分析が進んだところで人間を分類することについての進捗は変わらないような気がします.それは人間の人生の1回性と不可触な時空(畢竟それこそが人間を生み出した環境であるが故,それらを人間の脳で超越的に思惟することは自己矛盾なのです)のせいなのです.諦めるしかありません.発明品で有機物から宇宙の神秘のすべてを文献学的に記述することは,「だるまに目を入れることは差別だ」という抗議以上に理不尽なのです.だからといって,限界に近づく試みを人間がやめることはありません,どこまで行っても限界などありやしないので.

畢竟、ぼくにはコトバを束ねる力がないのです.
いつのまにかtullがkansasに摩り替わっているし.


But there’s too many empty lives, my friend
And we can’t just let them waste away.

     −"Opus Insert"

一年前に何を考えていたのかなと思って去年の日記を見てびっくり。何も変わっちゃいやしない。こんなの初めてだ。これまで常に自分の中で少しずつ進化している何かを確認できていたのに,今回は何の発見もなく,強いて書くなら,この一年でぼくの文章からは睡眠不足の煙が発散するようになってしまっているという程度のことしか感じとれなかった。確かに,"仕事"って意味では成長を自ら認識するところだが,そんなことにあまり興味はないし,むしろ進化してあたりまえのことだから話にならない。大体そんなに仕事のことを日記に書いていないと思うし。

この進化停滞の原因としては,主に精神妄想的貧困に毒牙狭隘化,さらにはTVの不在などが考えられる。

「進化しない」の主語を特定することすらできなくなっている。

"文章の技巧"だとかいうレベルの話じゃなくて。

しかし以上のことは,ある意味核心部の一側面からの描写であり,加えて寝不足による穿ちが引き起こす偏向であるため,寧ろ黒ラベル2リッターで洗い流すべきことなのだ.

++++++++++ 土地の名 ++++++++++++

IME変換辞書登録単語に,

「発寒」があるのに,
「月寒」はない.
「琴似」はあるのに,
「茨戸」がない.

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今日は渋谷のいつものタイ飯屋でひとり無汁麺を食った。カウンター席でぼくの横に座っていた綺麗なタイ人女性が、タイ人マスター(風)と延々とタイ語で話していた。聞き慣れない言語を利かされる多くの場合と異なり,このコトバの音韻が不安や恐怖を運び届けることはない。

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久々にいかにもっていう匂いのハードボイルドが読みたくなってきた。たまに"Looks that kill"のようなこてこての80sUS西岸rockを聴きたくなるが如く。

おにゃすみ.
あー.
あー,最近.
あー,最近ストリートミュージシャンのギターをちょっと借りて発声してない.
あー,最近ストリートミュージシャンのギターをちょっと借りて発声するほどに出来上がっていない.
あー,最近ストリートミュージシャンのギターをちょっと借りて発声するほどに出来上がってみようと試みてもいない.
あー,最近ストリートミュージシャンのギターをちょっと借りて発声するほどに出来上がってみようという試み方を忘れている.

デニーズでdust in the winds がカバられていた.
毎年この時期は論文だ.論文って言うといかにも研究してるっぽいが,実際そんな気はさらさら無い.ほんの米粒程度のアイデアの過度なる膨張実験について,「今回は良かった」,「戦略ありきです」云々.社命による研究のモチベーションなんてタカが知れている.それでもかつては真剣に萌えようとした時があったが結局水泡すら膨らまずジマイだった.じゃあ,大学に戻ろうと真剣に考えたが,恩師は既にTK大からDT大へ移動.お世話になった別の先生のところからも誘われた,いや,多分,「拾ってくれそうだった」と言ったほうが良いか.だがその先生はぼくの志向する認知的アプローチに否定的だった.移動した恩師のところへ行けばよかったじゃないか?難しい問題がある.端的に言うと格だ.なんとも書きづらいことだが,件の恩師曰く「せっかくそこまでやったんだからうちでドク獲るのはやめた方が良いよ」.大學の格差なんて,と日々是漠然と考えていた俺もいざ実際にこれに直面した時,実に凡とした収束をしてしまった.でもこのことは今思い返しても答えが1つしかなかい必然解であるかのように思う.恩師の言ったことは正しかったのだ.そして今は学位に研究職にもこだわらないし,今の俺の職場の1つであるTB大が格だけで言うと奇しくもDT大以上TK大未満であることにもなんの躊躇いも無いし,所詮社命なので選択の余地は無いのであるから割り切りも簡単だ.

マスタ時代の俺は技術力ゼロが故発想力ですべてをまかない,ついに最後まで恐ろしく貧弱な土台の上で暗中模索的な開拓を行い続けることができた.そしてこの数年間で(研究における)発想力をないがしろにしてまで技術力を高めざるを得なかったので,腕の自信はマスタ時代よりも桁増的に獲得した.だから,今あの頃の研究を再開すればソコソコやれる自信はある.技術力不足でエントロピー増大傾向が強い俺の,換言するとプログラミング嫌いのこの俺の,粗暴な発想に付き合って疲れ果てていた恩師に,「今の仕事で一番楽チンにできることはプログラミングなんです」なんて言った時の疑わしそうな笑顔をこれまでに幾度か想像した.

要は,やっぱり俺は大學でしかできないような研究がしたかった,今でもしたいと思っているってことなんだ.だから,たまに仕事で「世間一般から見れば研究だが俺から見れば研究ではないようなタスク」に従事する時に,妙に混乱錯綜した思考に陥るわけだ.しかし人生あれもこれもというわけにはいかないので「研究」を切り,「タスク」を採用して今に至っている訳だ.その方が別の大きな目標に達することが容易になると踏んだからだったな.
★★★☆☆
今日は1年ぶりぐらいに仕事のための勉強用雑誌を買った.でも良くて3記事ぐらいしか読まないんだろうな〜.プログラミングだとかオブジェクトだとかましてやハードイジリなんてホントは大嫌いだ!!!

★☆☆☆☆
書きたいことがたくさんあったのに,悉く飛んだ.

★★★★☆
"slippery when wet"ってほんとに書いてんだな!!!

★★★★☆
ターキー(肉のほう)うまかったぞ!!!

★★☆☆☆
俺の吸殻には必ず歯形と粘液が付いている.
walk this way!!!

★★★★★
イヴの深夜の痴裸裏撮影会は萌えるぞ!!!!!

★★☆☆☆
I/Fを変えただけなのに教授は大興奮.見た目って大切なのねん〜

★★★★☆
付属図書館で"仏語の歴史"と"英語の歴史"を借りる.ガリア人とギリシア人とケルト人とローマ人とピレネー越えとに萌えまくり.

★☆☆☆☆
付属図書館でマクルーハン"グーテンベルクの銀河系"を借りた(3度目).今度こそ読みきるぞ.

☆☆☆☆☆
三郷から小菅でプチ事故3件.人間事故ったら最期,中途半端な事故で人を困らせるより,潔く大破して血みどろになろう.サムライは生き恥をさらしてはいけないのだ.