衒う街の衛

2004年1月21日 衒い妄想
【新撰組ブーム】
副長の短縮形.土士

【心理学】
噛んでるよ,スキーマ理論,スクリプト

【オに関する減衰振動】
オブジェクション.オブジェクト.オブジェ.オ.ォ.益荒男のヲ.w. 

牛和歌丸三郎太夫「才能とオ能」

【半減期】
1/2の神話,1/4の神話……1/65536の神話…

【ソクラテス】
愛犬の名前

【リズム】
プルラリズム.ナチュラリズム.メタボリズム.カニバリズム.いちヴぁん早いのはドレ?

【ムの演算】
広-ム= 不安定
東-日+ム= 方向音痴
日本ハム-ム= 玉音放送

【衒いについて】
曇りガラスの逆鉾のようなもの
そりゃォだよヲ.

【○リ○】
ハス博士へトスバーへ行きクスクスとゴオャを注文した.ポオの短編はエスの首都でも読まれたという.

【イサムの愚痴】
ブランデンブルク門と凱旋門の間に三十三間堂を建立したかったのだが,そんな選択肢はありえなかった.韓国の建物が多い反面,日本の建物が極端に少ない.きっと開発者に韓国人がいるのだろう.「日本の建物なんて登録しねーよ」って.まぁ俺が開発者でも「韓国の建物なんて一つも知らないから登録不要」と言うだろうな.竹島ぐらいくれてやらぁと思ってたのに,やっぱやらない気持ちになっちゃうよね.折角盛り上がってきたのに先っちょだけ?!折角若い世代で日韓の障壁が薄れてきたのに,古い時代の化石どもがこのような旧体制を引きずっていることを非常に残念に思う.関係ないけど,尖閣諸島は絶対に日本のものだぞ,水とかじゃなくてどかんと大砲ぐらい打ち込んでやれよ.∴日本も韓国も多分ランドマークに乏しい.日本.東京タワー?ボツ,奈良の大仏,まぁ良し,愛媛嬢,しらんよそんなの.あと何がある?無駄にでかくて重くて軽いアメリカの連中から金を取れる建物は.

---男妾---
五稜郭.
モエレ沼公園.
大志を抱け像.
ゴロさんの家.
三軒茶屋キャロットタワー.
花やしき.
第7サティアン.
航海途上のカーネル氏.
ぱくられたひよこ.
片抜きの店の人と親しく話すようになるとお前もそろそろ色気づいてきたってことだなと言われそうな山車.
どこにでもあるちょっと太目の乙女像.

---談笑終わり---

イエズス界から日経平均から
ポール・オースターの学びやへ

幼少のころあそんだ懐かしの滑り台.
通公園8丁目と9丁目の間の80トン.
穴の中の会談.我国を代表しない
偉大な芸術家のブラックマントラ.
こどもの国の芸術家の長津田乗換え.

【知的運動】
反シラク勢力のおっさんが言ったことは結構マトを得ている.「息苦しい東京」.相撲だってべつに「知的さ」が売りのスポーツではない.逆に知的なスポーツとはなんだ?確かに,トップアスリートはよほどの天賦でもないかぎり頭の良さと精神力が要求される.しかし,「知的」という単語でそれは表現できない.仏日翻訳精度の問題か.
この部屋は十分に寒い.
隣の部屋では白板を囲む赤い息を吐く人達.
この部屋では中国語が切り刻まれる.

中国語の部屋に抗したサール.
誰にでも噛み付く流し目は,
問題提起専攻.

+++

地図を叩き込む,
ぼくは世界中の路地を歩く,

青物横丁駅から海側へ数万海里進むとメルボルンのブランズウィック通りの阿片屈に辿り付く.そこから両毛線に乗り換えて西18丁目で降りると,北一条通りの鳥居の前のスクランブル交差点で夜の昼寝,ポール・ヴァレリー通りとヴィクトル・ユゴー通りの交差,ロイヤル通りをまっすぐ行き過ぎたら引き返し,オコネル通り経由で北環状道路へ抜けよう.その外には阿波環状線.駐輪所のじじいは居眠り,浦塩では塩は採れない.
サービス残業を強制したシャチョーが書類送検,どうせネズミ捕りと同じさ,オービス,nシステムと探知機,検問とガム・タバコ。単語の連続は2つまでに限ります,いや寧ろ君、単語n-gramに形態素を混入させた方が精度が向上するんだよ。

「偉いこっちゃねー忙しいんだよ」
「それならそうとユニークしてよ」
「ユニーク?オインク?」

新年改まり,玉川高島屋のように偉くなりたい。南栗橋まで遠出したい。そして山手線を丁度7周半するぐらいの時間で,中央林間で盗まれた手紙を取り戻したい。犯人は大臣か博士か。兎に角俺の鏡像段階においては,ピコ・デラ・ミランドラもケプラーもすべてが等価値であったので,迷わずスイミングスクール通ったさ。

今年の抱負は「ダケジャナイテイジン」以外の部分の聞き取りでしょヴザレビォン。あの子も段段成長してイルフェボー。悪乗りの意識が電波経由で送付されてきてイルナパドゥラre裸子音。

ソープオペラに魅せられた事など一度も無い。多分将来も無いだろう。オーストラリアでシャトル種付けした富士奇跡の子孫はどうなったんだろう。軽い馬場に合わないといわれた息子の息子は7冠?8冠?いつものように怒涛の追い込みを交わせばそこはゴール。

背筋が寒い瞬間:長音が促音に変化している時。音便も子猫の首を噛みながら,愛のメッセージをお届けしております。愛という名の満開の下には,文明開化の音がするのである。
優先度1の課題:アンドレ的曖昧性の解消

新人の上司は元アル中。
おれとあいつは同中。
小名浜中学は小名中。
君とぼくはなかよくオナ中。
そんな上司の最愛のペットはコーク1リットル。もちろんクビレのないやつさ、だから名物勝負も見られず仕舞。しかし今日の上司はアミノ式。燃焼系統,もとい不完全燃焼システム。「これ、方法の発明として出願した方がいいですよ。」「何の方法ですか?」「輪廻の果てマハポーシャできる方法ですよ、君、まだ若いな?」「これは教育的指導取られましたな。」そこからの会話は法廷用片言英語に切り替わるのであった。

謎の髄まで愛してよ,謎のかけら。
不利なリスクを買うときもある。
タバコ臭いからな。

昔通ったプリヴィというビルにタワーがあったんだったよな。ビルの最上階の明らかにまがい物のようなTシャツや重金属を眺めたあとでしかタワーには立ち寄れなかったな。エスカレータ見上げた時代。すれ違いざまの躍動感。でもあの時代の女子高生のスカートは短くなかったから骨折儲け。タワーの採光窓からエディー(木)に衝撃的一目惚れ。まだ紙のキャンパスに包まれていた月夜のエディ(木)は,ペントハウスやニューズウィークと同じ匂い。重金属が最後の豊作の頃,あきたこまちや397は忘れられていた。お腰につけたキビ団子印のサムライスピリタス。同じ場所で,スティーブ・クラークの無残な死を知った数年後,プレイステーションとセガサターンが同時並列的に置かれていた。多角的技術の格闘ソフトのせいか,当時の多くの人間がプレイステーションの名前を覚えることすらできなかった。日本で最初のタワーは狸の道の少し横にあったのだ。

ミニスカポリス、あはん。
ミニスカトロイカ、おえ。
スティングもミニスカでチェロ弾き。
キャンディキャンディのアンソニーもミニスカバグパイプ。
ロッテンマイヤーもミニスカ先生。
ハコスカもミニスカ走法。
ドムは最初からミニスカ。
みーんなミニスカ。

早口言葉:
すももももももぺぺぺぺぺ
赤巻貝黄薪台青葉台
東京特許ゴルバチョフ:つづく
つづき:ゴルバチョフショキチョウアンドロポフショキチョウブレジネフショキチョウ

「日清日露で敗けていたならば,北海道は無かったものとしてお考えいただきたい」「カップヌードルと正露丸はどうなんのよ?」「それぞれ"浅間山荘的即席麺","Ялуиздлйа"だったに違いない」

帰宅すると家のドアの前に薄茶虎猫が座っていた。おーしおしおしおし,まってろ,なんか食わしてやるからな,といい終わらぬうちに,奴はブロックベイから数メートルヴァンヘイレンJUMP。デブなあきんど野郎め。ゴーアヘッドもヴァンヘイレンと歌ったから。突発的に小学生の時椋鳩十に感動したことを思い出した。

東:山にせこ
西:区宮の沢
南:北線の終点は?赤羽岩淵?それとも麻生?
北:壁にはゴンドラとロープウェイがあった。昔。

営業の青年は俺と仕事のことで口論する夢をみたと言っていた。兼課上等,いつまで俺は3色なのか。動物はなんでも偶数ってもんだろ,乳にしても玉にしてもって、あ!、穴と竿は1つか!、いやでもこれは2つではじめて帳尻があうというわけで落着だ、すばらしいお尻愛。いやあん。

知己体たらくは北欧系。ウルリッヒよりもジェイムス似のオペラハウス嬢, もちろん親父さんは軽めの芝好きさ。4人組ユニット内の2夫婦のダンナによる芋声の歌が好きだった。

中学時代「訓読み」というあだ名の奴がいた。しかし「音読み」にふさわしい奴がいなかった。もし生まれ変わることがあったら中学時代に「音読み」と「訓読み」が同時並列的に発生しているクラスで定義されたい。

銀河のかなた アカバネーゼ
赤い背表紙 マヨネーゼ
接吻の味は ペプチターゼ

わからない君の言葉:「開く」編
ごま
ポンキッキ
「さて?(スー)そろそろ開きますか?」

金字塔

2003年5月29日 衒い妄想
放置法

・ガムラン*1
・アリラン*2
・ミシュラン*3

*1 :手足の本数が3割増し,あんまりホンモノを見たいとは思わないね.
*2 :益かき鱒.これも見たくは無いなぁ.
*3 :中途採用のページを見た.まったくのひやかしだが.これも見たくて見たわけではない…

---

行為遂行的

・宣ふ
・信じる
・いまそがる

アノテーション,脚注,原注,吸引器,針の類は不要.

---

英語至上主義用インタフェイス,否,interface.

・英入力→(英日翻訳)→(日韓翻訳)→(韓日)→(日英)→英出力
・英韓ツールのアベイラビリティ,否,availabilityは.

---

概念であれ現実存在であれ,
完全に一であるものなどない.
現実存在についてはわかりやすいが,
問題は概念の非-単一存在の方.

自然科学の進歩,文明の発展は,「近似」に
負うところが大きい.

科学の進歩とは,この近似を細切れにする
こと,ホンモノとのずれを少なくすることである.
しかし,数直線上の2点間の無限性
と同様,ここにも無限が立ちはだかる.

通信/電話の発展.
声だけ→画像つき→動画つき

あるアルペクトからのみの近似法には限界がある.

すべてをスルーするどこでもドアは
この問題を一気に解決してしまうように見える.
しかしながら,ここにも近似の限界があるのだ.
それはドアを4次元ポケットから出してドアを
開ける,ということ.この時間はかならず有限だ.

-タイムマシンがあるじゃないか?!

タイムマシンでタイムラグ無く思念した
対象と会話をすることはできない.
対象からみたタイムラグは0にすることが
可能だが,タイムマシンに乗る方には
有限作業時間がかかってしまう.

別の問題もある.
「ホンモノとのずれ」とあるが,
ホンモノがはっきりわからない時は
ホンモノを推定するのである.
その際,別種の近似が大量に押し寄せるのだ.

いや,ホンモノがはっきり分かっている場合
でも近似の圧力からは逃れられない.

たとえば,揮発性.
あるいは「揮発/不揮発」という線形分類そのものが.

すべての認識にも近似が含まれる.
これはまたいつか別に考えてみよう.
懐かしい,パターン認識とかあったね.

∴(能力的にかなり質の悪い近似ですが)
「単一の概念」は本来は単一であるはずがなく,
(なぜなら,無限の地平が立ちはだかるから)
それを文脈的/環境適応的/あるいは進化的 に
最適に近似される.(だれによって?人間は含まれる.
犬も含まれる.それ以外は今はよくわからない)

ある文脈で長いこと単一近似されてきた概念が
揺らぎ始めること.これが脱構築と無関係なはずは
ないであろう.
うちの近所は,
平凡平,平凡野,平凡台, 平凡が丘.
どうして,

「焼き鳥台」,「ちょんまげ平」,
「橙平」,「禁止が丘」,「葱玉川」

とかいう地名は無いのだろうか.

「平」というそのままの地名はある程度
みとめても良いとは思うけれどもさ.

* * *

今日は数年ぶりに三鷹市に行った.
昭和を激しく思わせる自動車工場の敷地内.
あたり前だけど,ある種類の車しかなかった.
至る所で実験途上の,あるいは,実験
放棄後に放置された,自動車の両眼から
放たれる照射針が,真昼の太陽を翳めていた.
今日は天気が良すぎず絶好の営業日和.

武蔵境.
駅前のスタアバツクスの外の席から
ハトにえさをやっていたおばちゃんに,
タクシードライバーが猛烈に怒鳴り散らしている
のが聞こえた.おばちゃんも負けじと反撃.
野郎同士なら,確実に手が出ていたであろう噴飯.
とにかく,ハトにえさをやるような人種には
ロバストな共通項がある.(国立国語研究所に
猛反発されそうな表現だが代替案が思い浮かばない)
勝手な予想だが,みんな軽くない病名を
背負っているのだ.夢野久作なら迷わず
「クルイ/キチガイ」等と名指すであろう.

そういうぼくもかつてこの駅の反対側で,
当時の彼女と大喧嘩をした.
これが引き金となり,その後お互い大きく
和解することなく,距離をおくようになり,
数か月後,正式に別れた.

ぼくにとっての「喧嘩の街」は今日も
その名辞に違わぬ喧嘩っプリを見せてくれた.
ありがとう.
なにが「ありがとう」だか,言っている
ぼくにもわからないけれど.

* * *

HELMUT LANGのTシャツもそろそろ捨てよう.
そして,APCかギャルソンかどこかで洒落た
シャツでも買おう.久々に,
襟が尖ったヤツが良い.
たまには,柄柄模様にも挑戦してみよう.
思いっきり「いんちきくさい柄のレプリカ」を
買おう.

* * *

やっとDERRIDAの「声と現象」の裾野に着いた.
ここまで長かった.これがいずれぼくの中の
何処かでクリプキと繋がるのだ.
青函トンネルの両岸で工事が始まった.

そうはいっても,ハイデガーとブランショが
まだまだだけど.ジョイスもまだだ.ちなみに
ジョイスといえば,,,ダブリンでも
百合シーズでもなく,まず第一にとある
データベースを思い浮かべるあなたは業界人です.
こんにちわ.

* * *

ヴァンヘイレンジャンプ!
が鳴ったら加藤からエロメール.

障害発生はHELL SONG.
Part of Me won’t agree!
Cause I don’t know if this for sure.
Anymore!!!
* * *
金曜日,金日曜.

ザンパノの書物の中の
ジャック・デリダは,激しくデフォルメされていた.
ステファン・キングも同様だ.

ステファンといえば,
サン・ステファノ条約の有効期限はどうなった?
くりーむしちゅうだとか,弾薬庫だとか,確か
そんな音韻が関係しているのだと思う.

それから,ミシェルの姉のステフは?
絶対奇麗になっているはずだが,
いつの話だったか.ひょっとしたら,
もう孫がいる?!,わけないよな.

ところで,そいつ,ザンパノの書物には
オースターも登場する.
しかし一体あれはなんだ??
嘘っぱちの作品名か?
それとも俺が知らないだけ  or 
未翻訳?
いけないぞ,2行前の"or"がばっくれそうだ.

こんな時に,首都高が渋滞しやがる.
生意気な.理由なし渋滞.
大体東京の道はどこも腐ってやがる.
ああ,そうさ俺は田舎もんだべさ.
「こんなムラいやだ」って出てきても,
まだこんなムラムラするのは体に悪い.
OKつまらないことを言ったことは謝るさ.
ただのアナクロニスムさ.

漂流空間.動く壁面.カドミウムだ部材.
アスベスト膜.地球の直径よりも深い溝.

溝の口にはシモの毛が,
2つのタマには上の毛が .
なんて言った時もあった.ち,くだらねぇ.

昭和40年代史が観たい.
昔からロッテンマイヤーさんには絶対に
言ってやりたいことがあったんだ.
みんなも何か思っただろう?

そして激しく,しなやかに飲むぞ!
飲むぞ! 眠るまで飲むぞ.
そういつだかuntil it sleeps,,,って歌があったな.
昔好きだったバンドのあたらしい路線.
例に漏れず,それは「昔好きだったバンド」に
成り果てた.

いくらハァハァしてみたところで,
果てたらおしまいだ.
イタヅラ好きのスサノヲに殺られる前に,
アムロ行きます的に脱出したく.
教授の化けの皮は剥がれ落ち,
今ではすっかり幼児の骨格が剥き出しになる.
助教授だけが頼みの綱だ.

フロイトについて.
まず,行き損なったウィーンの
フロイト記念公園とミュージアム.
蛇足的にウィトゲンシュタイン
の建てた家の位置もおさえたのだが.

大思想家と呼ばれる人にはたいてい,
多くのキーワードが附随している.

「町の精神分析医」ジークムント・フロイト博士.
一般的なフロイトの業績に対するイメージは,
いったいどんなものであろうか.
今やぼくは,この問いに対して主観抜きでは応えられない.

数多の系譜が,「フロイトの思想」に,
思想誕生から一世紀近くを経た現在でも
繋がっていることは,書物を見なくても
明らかである.

フロイトの「精神分析入門」と「夢判断」のみ
しか読まずに「フロイトの思想」を判断するの
はあまりに軽率である.大学時代の某大文学部の
友人もその軽率な一人であった.彼女は断定的に
こう言った,
「フロイトは何でもかんでもがむしゃらに性に
結び付けすぎる.」

彼女は明らかに,「トーテムとタブー」や
「機知と無意識」,「快感原則の彼岸」について
は未読でフロイトの思想を判断乃至はそれ自体を
軽視していた.

今日のぼくのことばがすでにpedanticなのは否めない.
だが,たまにはそれも決して悪いことではない
ように思う.敢えて若ガキの精神をいつもどこか
に持ちつづけヨ,との神託があったのだ.
 
ぼくなりに注目するフロイトの系譜キーワード
(もちろんアンチテーゼとしてそれを対置した
場合も含め)がいくつかある.

「タナトス」,「肛門期」,
「リビドー」,「ego/ido」…
 
・フロイト
  → ラカン → ドゥルーズ
        → ジジェク
        → クリスティヴァ
        → …
  → フーコー 
  → ブルトン
  → バシュラール
  → ブランショ
  → …

1995年突然自宅から飛び降りて死んだ
ジル・ドゥルーズ.フェリックス・ガタリとの
共著であり,20世紀の名著の一つとされて
いるらしい「アンチ・オイデプス」の冒頭
にはすでに「太陽肛門」のことばが登場
している.

「太陽肛門」といえば,バタイユ,
肛門的に「眼球譚」.太陽光の代わりに
言い換えれば,「眼球肛門」.
欧米人の「肛門」に対する執拗さと,
オイデプス的系譜をいち早く知るには,
一つの米スラングを覚えるだけでよい.

"You motherfuckin’ ass hole!"

ニューロン間の接続のすべての組み合わせと
「語る主体」を囲む外部環境の配置の組み合わせ
は無限であるのに対し,それを表現する言語の
組み合わせは極めて有限である.
巨大な衝撃を外部に表現する場合,
言語を扱うことの不自由を感じない時はない.

ラメルハートのコネクショニストモデル
(これはぼくの修士論文の重要なキーワードだった)や,
ホップフィールドのリカレントネットワーク
(これは卒論テーマ)
では,それらの事象をモデル化するには不十分だと
今あらためて思うようになった.

毎日歩く駅からの帰り道,
それは,一度として「同一」なることはないのだ.
たとえそれが昨日と「同一」であったとしても,
そのときの「語る主体」の思考や感情が
昨日と「同一」であることはないと言い切って良い.
「偶然」と「必然」が我々にはなかなか
判断できない時があることもこれとかかわりを
持つのかもしれない.
この辺の見事な描写はポール・オースターの
作品群のほとんどすべてにみられる.

リガンドがリセプターに結合すること,
アロステリック変化,
電荷の移動の「過程」(それはドゥルーズの
もちいる「過程」に重ねても良い),
そして変異を予め受容するようプログラムされているGCATやTATA配列,
(あるいは,)

セリーヌの作品中の「接続法半過去を多用する女性」と,デリダの「届かない郵便」には強いリンク
が張られており,そのことはまた,「間テクスト性」にたいした意味を見出せなくなることに繋がる.
これは,すべての人間のことばは他者の言語に
よる支配は免れない,ということで,何も,
文学的空間にのみ固有の概念でも何でもないのだ.

循環小数は無限であることは中学で学んだ.
「図書館は無限である」ことはボルヘスに学んだ.
しかし,自己への参照的な言及は決して「分析」
には成り得ない.
フロイトの「分析」すら,現在のぼくが意図して
いる意味での「分析」とは程遠いのも事実だが.
自己言及はパラドクスの雛型に収束される.
「このことばは嘘である」〜”嘘つのパラドクス”〜しかり.

ことばの表層的な戯れにだまされてはいけない.
今ぼくが用いた用語にしたって,
ぼくが本当に用いたいから用いているのではなく,
他にうまいことばが見つからないからやむなく
そうしているだけなので,しばらく時間が
経った後,ぼくのニューロンの配置が不可逆
変化を起こし,今日の思考に辿り着けなかった
(それは自らの今日の思考を自ら「陳腐化」させる
場合も含む)場合,それらをなるべくキーワード
により検索することを容易足らしめることが
目的なのだ.

とにかく,ぼくの思考の流転化はフロイトに
はじまった.高校時代の精神分析入門だった.
それに尽きる.それがあって,ある方向を目指し,
-常にそれを意識し続けることはなかったが-
ある系譜(上記の系譜とは全く別の)を踏んで
きたことは偶然のようにも思えるが同時に
必然でさえあるように思える.
しかし,これも完璧な自己言及.
故に妥当な分析ではない唯の「ことばの吐き溜め」
に陥る危険性は大きいので,これ以上無駄口を
叩くのはよそうと思う.

かつて,様相論理学では◇と□が導入された.
必然性と「可能」性.「可能性」ではない.

とにかく,
「語り得ぬものには沈黙を」から,
「考えるな!見よ!」なのだ.