開放2

2004年4月18日
日本人2人が解放されていた。今回は前回ほどの批判はないようだが。そんなに怪しそうな見た目ではないことも大きいのだろう。見た目は重要だ。大体,いけすかないやつの目つきって瞬時に感じ取れるものだし。だから今回の2人は前回の3人よりはましだったし,国民受けの悪そうな家族もいなかったし,拘束期間が短かったし,何より前のおばか3人の開放と彼ら2人の拘束とが完全に被ってしまったおかげで,拘束世論がとやかく言う隙が無かったと。

人類が平和に共存するように,なんて平和ボケだボケと,帰国者に指摘された。平和ボケ?確かに戦争は知らない。しかも,平和の対義語が戦争だってことも知ってるようで本当には知らない。

「俺は何か人のためにやってやってんだ」、っていう自惚れ。自分が、必要以上に誰かのためになっているんだって言う自惚れ。人間が不特定多数の誰かのためになる、なんて考えただけでも欺瞞の疣疣が痒そうだ。

もちろん,そんなことは個人の自由の範疇だから,やりたければ大いにやればよい。但し,「私欲」に対する対価について考えられる思慮分別がない輩は国籍を捨てて、無国籍の1人間としてやってほしい。そのような一個人のしがない意見に対して,不相応な税金がこれ以上浪費されるのは納税者として腹立たしい。所詮ジャーナリストなんかはスクープをおさえて上りつめてやる、っていう私利私欲と切り離せないわけだから,それがないと言い切る度胸のあるやつはさっさと国籍を捨てて一人間としてスクープを追えばよい。頑張ってればそれなりに報われるだろうし。

テレビをつけて権威や偉い人のコトバを聞くと,左右両極端な発言が多く聞こえるのは俺の気のせいだとしても,何が言いたいのだかさっぱりな人が多い。俺がバカなのかもしれないけれど。すくなくともバカにもわかるような,国として筋の通ったことを言う人間の言葉を信じたい。とかいって,ただおもしろがっているだけで,本当はどうでもいいけど。福田官房長官の珍言が聞きたいだけって人も多いらしいから。

ってなことを書くといつか全共闘風の学生に刺されそうだからやめよう。真面目に全共闘風なことに努めている学生さん、ゴメンナサイ。

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