*定山溪鐵道の概況
2004年4月2日面白い資料を見つけた。
たかが一地方の私鉄案内なのに,趣きあるよなぁ。
「幽勝に入り,乗客はただ恍惚として識らざる間に・・・著します」って好きだ。そこに行けば誰もが必ずや恍惚とできそうな気がするではないか。
無論,このcite/siteはぼくがうまれる少し前−虹と雪のオリンピックに間に合うように−行政の圧力により半ば強制的に廃線になったらしい。その後,定山渓鉄道(定鉄(じょうてつ))は,東急傘下にしっぽりと収まりその図形商標も東急に同化した。そのため,東京急行を毎日利用することなど想像不可な時分から,ぼくは,あの意匠を知っていた。ただし,「じょうてつバス」の意匠として。
ぼくが小さい頃,父親は,接待やらなんやらで頻繁にこの「じょうざんけい」に行っていた。時には,大広間における宴の写真などをみせてもらった。
ぼくは定山渓については,ほとんど未踏に近いので,トランスミッショントラブルでリタイヤしたとき等は,療養にでも行ってみたい。
定山溪鐵道は大正五年起工大正七年十月十七日營業を開始しました。省凾館本線白石驛より分岐豐平町を横斷し豐平川の東岸に沿ひ南進定山溪に達する延長十八哩六分軌間三呎六吋軌條四十五封度の地方鐵道にして沿線一帶は頗る風光に富み眺望雄大なる眞駒内、花の名所櫻山、簾舞八景、錦橋の山水事に秋氣綾羅錦繍を織出せる滿山紅葉の美觀は蓋し天下の絶景でございます。
勝地の送迎は列車の進むにつれ刻々に變じて幽勝に入り、乘客はただ恍惚として識らざる間に熱泉噴出の温泉郷に著します。
旅客の主なるは温泉浴客、避暑觀楓遊覽旅客及地方住民徃復客とし、貨物は木材、石材、農産金銅雜貨等であります。
たかが一地方の私鉄案内なのに,趣きあるよなぁ。
「幽勝に入り,乗客はただ恍惚として識らざる間に・・・著します」って好きだ。そこに行けば誰もが必ずや恍惚とできそうな気がするではないか。
無論,このcite/siteはぼくがうまれる少し前−虹と雪のオリンピックに間に合うように−行政の圧力により半ば強制的に廃線になったらしい。その後,定山渓鉄道(定鉄(じょうてつ))は,東急傘下にしっぽりと収まりその図形商標も東急に同化した。そのため,東京急行を毎日利用することなど想像不可な時分から,ぼくは,あの意匠を知っていた。ただし,「じょうてつバス」の意匠として。
ぼくが小さい頃,父親は,接待やらなんやらで頻繁にこの「じょうざんけい」に行っていた。時には,大広間における宴の写真などをみせてもらった。
ぼくは定山渓については,ほとんど未踏に近いので,トランスミッショントラブルでリタイヤしたとき等は,療養にでも行ってみたい。
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