ホルヘ・フランコの「ロサリオの鋏」は,予想をはるかに上まわる傑作だった。無造作に切り刻まれた時系列と,安穏ジャパンの俺の脳では到底理解できない動物的なコロンビアの都市社会は,こういった小説の手段と素材の組み合わせとしては最高の部類に入るだろう。コロンビアではまさに社会が脱皮している途中であり,そこでは超人間的な人間模様が展開されるべきなのだ。
今日からジョイス「ユリシーズ」を読み始める。特にこの書については翻訳よりも原書を読むべきだろうが,普通の日本人の俺としては特にこの書については,原書を読む前に翻訳を読むべきであるように思ったので,ちょうど文庫も出たことだしと翻訳を読むことにする。思えば俺がまだ実家にいた頃,母親と妹が発売されたての「ユリシーズ」丸谷ら訳に熱中していた。当時世界文学などは良家のもやし男が読むものだとばかり思っていた(今でも「10代のお子さんは読書などせずに今しかできないやんちゃをしましょう」と思うが)ので,ちらとそのページを捲った時に視界に入った注釈の多さしか記憶に無く、「どうせオナゴの読む不倫ものかなんかだろう」といった非常に不当な先入観を持っていた。
そう、たった今「オナゴの読むような」と誰が見ても男女差別的であるかのような発言をしたが,これにはなにも差別的な意図は無く,実際の傾向から独断的に推論したことを述べたまで。だって,「江国香織やよしもとばななが大好きです」という男に一度も会ったことが無いんだもん。男女の嗜好する書物には明らかな差異があるということ。そもそも俺がこの2者についてはまったく理解できないだけかもしれない可能性は少しあるが,それよりも先の明らかなる差異の可能性の方が重要だと思う。
それは別としても,俺は極端なほど女流作家の作品が嫌いなのかもしれない。面白く読めるのは,倉橋由美子と群よう子ぐらい。初期の柳美里にもやや詮索的吸引力がはたらいた。川上弘美はそこそこだったけど,どうもヘリウム的で後味が皆無。「いや、きみ、そう言うのはまだ早い、こいつを読んでみなされ」という女流作家がいればどなたか教えてください:
あなかしこ
今日からジョイス「ユリシーズ」を読み始める。特にこの書については翻訳よりも原書を読むべきだろうが,普通の日本人の俺としては特にこの書については,原書を読む前に翻訳を読むべきであるように思ったので,ちょうど文庫も出たことだしと翻訳を読むことにする。思えば俺がまだ実家にいた頃,母親と妹が発売されたての「ユリシーズ」丸谷ら訳に熱中していた。当時世界文学などは良家のもやし男が読むものだとばかり思っていた(今でも「10代のお子さんは読書などせずに今しかできないやんちゃをしましょう」と思うが)ので,ちらとそのページを捲った時に視界に入った注釈の多さしか記憶に無く、「どうせオナゴの読む不倫ものかなんかだろう」といった非常に不当な先入観を持っていた。
そう、たった今「オナゴの読むような」と誰が見ても男女差別的であるかのような発言をしたが,これにはなにも差別的な意図は無く,実際の傾向から独断的に推論したことを述べたまで。だって,「江国香織やよしもとばななが大好きです」という男に一度も会ったことが無いんだもん。男女の嗜好する書物には明らかな差異があるということ。そもそも俺がこの2者についてはまったく理解できないだけかもしれない可能性は少しあるが,それよりも先の明らかなる差異の可能性の方が重要だと思う。
それは別としても,俺は極端なほど女流作家の作品が嫌いなのかもしれない。面白く読めるのは,倉橋由美子と群よう子ぐらい。初期の柳美里にもやや詮索的吸引力がはたらいた。川上弘美はそこそこだったけど,どうもヘリウム的で後味が皆無。「いや、きみ、そう言うのはまだ早い、こいつを読んでみなされ」という女流作家がいればどなたか教えてください:
あなかしこ
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