ハリガネムシ

2003年12月21日 読書
じつはまだカント「純粋理性批判」を読んでいる.ほとんど週末に読み溜めすることしか叶わないため,この恐ろしく気の長い読みが続いている.まさに「コンドルは飛んでゆく」のイントロである.まぁでもおかげさまでとうとうあと100頁を切るばかりになってしまい,今は読了後の寂寞感を先読み後出ししては概念流氷に流されないようにしている総決算期なのだ.イきそうになっても我慢するのと少し似ている.

その合間に,忘れかけていた「ハリガネムシ」を読んだ.1時間ちょっとで読み終わってしまった.

読了後の一言は,「山田詠美とか村上龍とかが芥川賞選考するのはどうかと思う」だった.宮本輝なんかは明らかに本作に嫌悪ないしは憎悪を示していたり.で実はその村上龍も「(えぐい描写が)伝わってこない」とばっさり切り捨てていたりもしたのだが.まぁヒトの評価なんてどうでも良いのです.俺のための読書なんだから俺が何を思ったかが重要なんであって.

読了後の二言目としては「俺が全部読みきった新人の作品ってのは実に平野啓一郎以来のことではないか」という驚きのコメントを掲載しておこう.そうなのだ,文学界だとか群像だとかを買っては見るものの肝心要の創作を殆ど読了していなかったのだ.柄谷の概念漂流だとか柴田元幸が売れるワケなんかは面白く読んでいたのだが,いわゆる若手作家の創作において用いられる手段や扱われる主題にほとほとうんざりさせられるだけだったのである.すなわち,

・コネタによる笑い取り優先の強引な導入
・必然性があるとは思えないほどの暴力描写
・必然性があるとは思えないほどの性的描写

とくに,風俗ネタやSMネタは吐いて捨てるほど見られるように感じる.SMネタについては,村上龍と山田詠美が悪い.俺ははっきりそう思う.彼らがその唯過激だがしかしなんの非凡さも見られないような描写にて,人間の根底ないしは表層まで蠢いている好奇心を潜在的欲望にまで高めるかのような欺瞞を読者に押し付けた事が非常に気に食わないのである.特にSMなんてそんな新しい概念でも現代の日本を象徴する文化でもありえない.だからこれらが現代の日本文化を象徴する作品ですなんて清ました顔で
言われると我ら日本人が非常に貧弱で古風な文化の中の蛙に思えてきて悲しいのである.

ならば風俗産業はどうか?日本の風俗産業は確かに繁栄していること(金のことは知らんが)は歌舞伎町を一目見るだけで瞭然だ.しかし,だ,その風俗産業をさも世間の最重要関心事の様にフォーカスする必然性はいったいどこにあるのだろうか?俺としてもここに必然性が全く無いとは言い切れないが,それは別に風俗に限った必然性ではないように思える.つまり"人間の覗き見根性"である.そう,「風俗嬢ってどんな心理でどうやって割り切って見ず知らずの肉某をしゃぶってるのかみてみたーい」根性のことだ.それだけ世間の風俗に対する関心は低くないということは言えるのかもしれないが,こう同じ性風俗(SM,倒錯を含む)のモチーフが多いことに俺はうんざりなのだ.むしろそのような主題はエロサイトやエロ小説の方にしか期待していない.

まぁきっとエロサイトのエグイ描写なんかを山田詠美なんかで興奮している純情な婦女に見せたりすると本気で嫌がられるのがオチだろうからそんなセクハラ次長的なことはしないに越したことは無い.「ちょっとだけ見てみたい,でも本格的なのはいや」である.これは大いに理解できることなのだが,これが芥川賞候補となると大きな疑問符が付くのだ.

今回の「ハリガネムシ」は上記のキーワードに尽く該当してしまう"cliche"君なのだが,本作の芥川賞受賞についてはさておいたとしても,著者はこの後を少しだけ期待してみたくなるような作家なのだ.それは21世紀と昭和との埋められない隙間についてのコミットメントが多数みられたから.個人的嗜好だといわれればそれまでだが,真剣に昭和と対峙してゆく平成の作家には無条件で期待をしたい.もちろん作家自身が意識していようといまいと拘らず.

んで「ハリガネムシ」の作者の名前を忘れた.

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