昨日の豪雨肉の話。
会ったことも無いような大先輩達にお招きを受けた我らがどじょっこふなっこたち8名。合流して16名になると聞いていたのに当日ふたを開けてみると子供も入れて32名になっていた。こういう場合どの人がサークルの先輩でどの人がどの人の奥さんでどの人が先輩の対バンでどの人が誰の弟でお母さんでお子さんでなんていうのは帰り際に判明するものだ。辛うじて直接お世話になった先輩が来ていた。大学に入ったばかりのころ,修士だった先輩である。我らがどじっこたちにとってその先輩は無条件に「えらい人」であり,気配り+道化の精神を育てたものである。所謂体育会系のノリとは違う独特の上下関係は今も昔もストレスになるものではないのが面白い。会社生活における事なかれ主義や個人主義あるいは全体主義の中に潜む上下関係とは大違いだ。さて驚くことにその先輩が敬語を使っているのをはじめて聞いた。さらに驚くべき事にその先輩は奥様に「おーいぼけ○○どこー?」と呼ばわれていた。そして子供を抱いた先輩が戻ってきた。大人になるとはこういうことなのか,とつくづく思ったわけである。

さてさて,小道具士や味付け士のおかげで豪雨の中の増水警報やらダム放水警報を尻目に我らが肉宴は大盛況に運んだ。

やっぱり俺はモテモテであることを痛く認識した。若いオナゴにはよくもてたのだ。下は3歳児から上は小1までだけど。子供と一緒になって飛んだり跳ねたり睨めっこしたりセッセッセーのヨイヨイヨイとかしたり逃げたり追いかけたり。俺とKKがへとへとになってうまく逃げ果せた時,Mヲが「お前、うまく逃げやがったな」と言いながらも(俺がモテモテでうらやましかったのか)抱っこにおんぶによしよしの静かな父性を披露していた。面白いね,俺やKKなんかはあきらかに子供と一緒になって原点回帰するタイプ。M尾やNは静かな父性タイプ,M井さんなんかはあまり興味が無いタイプ。なかでもN夫人の子供の抱き方が一番サマになっていたように思える。俺が「さあて,われらがどじょっこで先にパパになるのはだれだろな?」なんてべたな質問をといかけると現場にいた者ほぼ異口同音に「おまえだろ」。これには俺も驚いた。

さて,トントロ逃してぐったりの帰り道は7台32人のランデブー。懸念どおり途中の目的地デニーズまで無傷で辿り着けた車は3台のみ。我らがHさん(最後のほうにやっと名前を覚えた)車含む2台は厚木を目指していたことに気づきUターン後生還。もう一台も別の落とし穴にはまるも無事生還。さて残るは俺の同期のみのKK車。Mヲから電話「今N夫人が気持ち悪くなってちょっと脇の空き地に入ったら車が泥濘に足を取られて動けない」とのこと。早速正義感あふれる有志Iさん(KK夫妻の立役者),MEさん(本会の主催者であり最年長者),M井さん(),そして俺の4名が現場に駆けつけた時には既にたまたま居合わせた2tトラックに牽引されているレンタカーと空き地の対角線上でぽつんと1人口を押さえているN夫人であった。2tトラックを以ってしても動かないものは動かない。これでだめならどうしようという危機感あふれる男8人力で押したり引いたりした結果,程なくタイヤは地に付いたのだった。みんなかなり楽しそうだった。N夫人以外…

あんなに肉を食ったのにデニーズではみんな何かを食っていた。俺の横にIさんが座った。自他共に認める「人を寄せ付けない雰囲気」な方なのでやや緊張したが,「さっき競馬の話してたのお前らだよな?」との幸運に恵まれこのテーブルは予想外の盛り上がりをみせた。

解散後,ドジョ的に「さてこの後どうする?」
KKは「連田を返す」から,Mヲは奥様の友人が来るから,Nはさすがに奥様が大変だったので声をかけることもできず,あっさり解散。ピンで参加の俺とM井さんがそのまま帰れるわけが無い。「悪いとこ行っちゃいますか〜?!」なんて勢いの元,いつものノクチのバー「豆」に入ったのが9時半ぐらい。なんだか今日のM井さんは自己を見つめるモードでいきなり飽くなき不満足解消と生活環境をとことん追求する話から。とにかくイデアが明確な人だなと感じた。その後話が膨らみとうとうアメリカの帝国主義の話から現代アジア史まで話が及び,ポル・ポトのタームがでたあたりから(客もいなくなったので),マスターSのさんも加わってきた。実はこの人タダのマスターではなくて,ちゃんと考えて行動したり勉強したりしてる人なんだなと(言葉は悪いが)見直してしまった。このマスターおれと同郷なんだけど,俺は首都猿真似都市札幌,彼は北端の米ソ緩衝地帯であった稚内とそれぞれまったく別の文化圏で育ったため,Sさんの意識の持ち方や対ロシア感が際立っていた。

結局そのバーには1時半ぐらいまでいて,その後まっち棒ですすって帰宅した。

兎に角,俺は楽しかった。
次の日が休日出勤でさえなければ100%楽しめた。

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