プリンキピア・アナロジカ
2003年9月2日 言語/哲学的妄想昨日は3時AMまでアドルフを読んでいた.
そこまでは良かったのだが,いざ寝ようというときになって,夜なのに白昼夢のジュムレーヴ.最後に時計をみた4時AM過ぎには"うんこやろうめ,徹夜だ徹夜"だなどと自棄になるもなんとか2時間は眠れたようす,ははーん,完全にダメ社員だ.でもちょっと良い響き,などと戯けてられるのもいつまで続くやら.
しかし,怪我の巧妙か偶然にもあるセクシーきわまりなく美しいアナロジーが閃いた.それは,なんとか俺を寝かしつけようと頑張って,
「よぅし,全く何も考えない時間を少しでも持続させるように努力しよう」としていた(という技の練習に励むのも以前この技で覚えず睡眠突入できたからだ)時の事.まぁ結果的にはこの手法をもってしても今回ばかりは効果薄だったということだ.第一眠れぬ時はどう足掻いてもはじまらないものだというのは学習済みのはずだろうが.第二に「アドルフに告ぐ」なんていう大河的な漫画を10数年ぶりに読んだ直後ともなるとそりゃもうドーパミンやらカテコールアミンやらオゾンホールやらで未曾有の脳内ピュッリターン革命がはじまっちまったあとだから取り付く島なぞありますまい.
脱線したが,発見したことを簡潔に述べる.
・人は能動的に何も考えないように努力をしても必ず何かを考えるよう方向付けられている.
・・これは意識の有無を問わず真なりと思う.
・白昼夢でも夢でもない,意思が作り出そうとする虚無に,抗俺統一前線を君で突進してくる思考の存在が重要なのだ.
・・その種の思考には大きく2つ.
?ごく近い過去の思考回路と見聞き嗅いだ触れた舐めた対象.たとえば昨日shoeが言ってたことだとか,服代もらうの忘れないようにしなければ等.
?ごく近いわけではない過去のそれら.時に,それまで意識下では想起したことも無かったような経験なのでそれが本当に自らの経験に基づく対象あるいは思考回路なのか疑わしい中にも,直感的に自らに帰属しているという感覚.たとえば,…(これは大方意識下でも想起不能なことが多いのだが)…幼少の景色だとか,そこまで古く無くても,「本当にそんなとこいったんだっけ?(といいながら絶対いったことがあるはずとも思っている)」と思わせるようなカフェやらバーやらコンビニやらなんやらの心象混じりの風景.
このようなある時間Τにおける偶然の結合パタンの類の想起と,プルーストのマドレーヌ的想起との大きな違いは,簡単なことだが,トリガーの有無だ.トリガーが無いにもかかわらずこういった状況が生じ得るという事実(と呼べるのかはよくわからぬが)はすなわち次の事を示唆する.
「ニューロンたち(幾分エージェントのような意味合いを込めて)は司令塔が眠ったり病気になったりすると,本来の仕事をほったらかして戯れ心を起こす,しかしその戯れに含まれる基本動作は本来の仕事で日常的に使うものである」
極端な例は,"医者の「お医者さんごっこ」","電車運転手の「電車でGO」","ママのママゴト"など.
しかし,最適な例があることにも気付いた,それは,
"子供を作る気も無いのに子供を作る動作をする人間"
強引な結論としては,ニューロンも我々も指令を待つ存在であり,指令がない間は戯れのためにひた走る.ということ.
ああ今日も無駄なことを考えた.登りきった後の梯子は投げ捨てよと先達も言ったことだし,今日はしゃぶられた夢でもみようと頑張ってみます.おにゃすみ.
そこまでは良かったのだが,いざ寝ようというときになって,夜なのに白昼夢のジュムレーヴ.最後に時計をみた4時AM過ぎには"うんこやろうめ,徹夜だ徹夜"だなどと自棄になるもなんとか2時間は眠れたようす,ははーん,完全にダメ社員だ.でもちょっと良い響き,などと戯けてられるのもいつまで続くやら.
しかし,怪我の巧妙か偶然にもあるセクシーきわまりなく美しいアナロジーが閃いた.それは,なんとか俺を寝かしつけようと頑張って,
「よぅし,全く何も考えない時間を少しでも持続させるように努力しよう」としていた(という技の練習に励むのも以前この技で覚えず睡眠突入できたからだ)時の事.まぁ結果的にはこの手法をもってしても今回ばかりは効果薄だったということだ.第一眠れぬ時はどう足掻いてもはじまらないものだというのは学習済みのはずだろうが.第二に「アドルフに告ぐ」なんていう大河的な漫画を10数年ぶりに読んだ直後ともなるとそりゃもうドーパミンやらカテコールアミンやらオゾンホールやらで未曾有の脳内ピュッリターン革命がはじまっちまったあとだから取り付く島なぞありますまい.
脱線したが,発見したことを簡潔に述べる.
・人は能動的に何も考えないように努力をしても必ず何かを考えるよう方向付けられている.
・・これは意識の有無を問わず真なりと思う.
・白昼夢でも夢でもない,意思が作り出そうとする虚無に,抗俺統一前線を君で突進してくる思考の存在が重要なのだ.
・・その種の思考には大きく2つ.
?ごく近い過去の思考回路と見聞き嗅いだ触れた舐めた対象.たとえば昨日shoeが言ってたことだとか,服代もらうの忘れないようにしなければ等.
?ごく近いわけではない過去のそれら.時に,それまで意識下では想起したことも無かったような経験なのでそれが本当に自らの経験に基づく対象あるいは思考回路なのか疑わしい中にも,直感的に自らに帰属しているという感覚.たとえば,…(これは大方意識下でも想起不能なことが多いのだが)…幼少の景色だとか,そこまで古く無くても,「本当にそんなとこいったんだっけ?(といいながら絶対いったことがあるはずとも思っている)」と思わせるようなカフェやらバーやらコンビニやらなんやらの心象混じりの風景.
このようなある時間Τにおける偶然の結合パタンの類の想起と,プルーストのマドレーヌ的想起との大きな違いは,簡単なことだが,トリガーの有無だ.トリガーが無いにもかかわらずこういった状況が生じ得るという事実(と呼べるのかはよくわからぬが)はすなわち次の事を示唆する.
「ニューロンたち(幾分エージェントのような意味合いを込めて)は司令塔が眠ったり病気になったりすると,本来の仕事をほったらかして戯れ心を起こす,しかしその戯れに含まれる基本動作は本来の仕事で日常的に使うものである」
極端な例は,"医者の「お医者さんごっこ」","電車運転手の「電車でGO」","ママのママゴト"など.
しかし,最適な例があることにも気付いた,それは,
"子供を作る気も無いのに子供を作る動作をする人間"
強引な結論としては,ニューロンも我々も指令を待つ存在であり,指令がない間は戯れのためにひた走る.ということ.
ああ今日も無駄なことを考えた.登りきった後の梯子は投げ捨てよと先達も言ったことだし,今日はしゃぶられた夢でもみようと頑張ってみます.おにゃすみ.
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