表紙がsumで中身もパンキッシュだったから
久しぶりにロッキンオンを買った.1年ぶり
ぐらいだろうか.驚いたのは,「あんどりゅー
の人生相談」のコーナーがまだ続いていたこと.
一年間もアンドリューの金8ブリをみすみす
見逃していたのか,と思うと悔しさがこみ上げ
てきたが,気を取り直して来月からは欠かさず
立ち読みをしようと決意した.もともとあの
雑誌は余程の特集でもない限り買うに及ばないし,
そもそも,無理矢理英語をカタカナ表記して
日本語に同化させようとする虚しい試みだらけの
"音楽ライター"の文章が嫌いなのだ.さらに,
訳者の勝手な基準でミュージシャンの一人称が
{俺|ぼく|私}と使い分けられている所も気に
食わない.勿論そんなこと言ってたらすべての
翻訳が読めない事になるが,ミュージシャンの
生の声を翻訳することは,小説の中の主人公の
コトバを翻訳することとは少し違うように思う.
金髪ナヨ系は「ぼく」,刺青ハナピは「俺」,
大御所級は「私」(大御所だが大人になっても
やんちゃな場合は「俺」)…云々.

一人称は訳さずに空欄を設け,読者が自ら記入
してゆくようにすればよい.  (をい)

それにしてもアンドリューのニューアルバムの
ジャケは前回の大流鼻血と対照的.青春右下角での
の顔面撮影.明らかに大志を抱いている表情だ.

ぼくの人生とパンク

1993年ごろ,Green Day以前のパンク(「パンク」というよりも「メロコア」と言っていたが)はぼくにとって金を払って聴くほどではなかった.OffspringとNOFX,RANCIDらのこと.その後Green Dayの和風メロディの中毒になるも,予後記憶喪失的に音楽を聴かなくなった.そのうち,Offspringが"あは〜んあは〜ん"言い出し,速くてへヴィな骨太ロックは,その歴史を終えたかと嘆いて数年,速くは無いが重くはあるパパローチやスリップノットがでてきて"おぉ?!"と思うと同時にリンキンパークがどうしたこうした周囲も騒ぎ出し,何年ぶりかの週?のCD屋徘徊慣行を復活させているうちに大鼻血流出のアンドリューやSumやAtarisやシャーロットに出会って今に至る.

でもパンクってなんなんだかいまだに良くわからない.ぼくはパンクを好きなのかどうかもわからない.ただ,上記のバンドは好きである.でも,上記のバンドでも嫌いな曲もあり,それが名曲と呼ばれるばあいもある.

そもそもロックにはぼくもちょっとうるさかったんだけど,先日,幼い頃からロック付けに育てた6つ下の弟に,
−Sum41聴いてるか?
と訊くと,
−もうそういうガキ臭いのは卒業なんだよね,
と返されて,「伝染るんです」の斉藤さんのように
羽ばたきたくなりましたね.

実は最近は,速くても重くても何でも良いと思う.
物凄いきれいな音楽と物凄い汚い音楽が好きだ.
今はどうだか知らないが,中途半端に小奇麗な
欧州メタルや,その歌詞の中であからさまに神を
称えて非英語圏の人間を密かに洗脳しようとして
いるようなやつらは嫌いだ.イングベイマルムス
ティーンを聴くならメンデルスゾーンなんかを
聴いた方が良いし,布教ロックを聴くのなら聖
イグナチオ教会で信者でもないのにまずい煎餅
を食っている背徳感を味わう方が一層良い.

今日はパンクについてはじめて回想した.

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