閻魔帳
2003年5月27日タリーズでカントを読んでいる人がいた.
必死に長い文章を書いていた.論文を書いて
いるのだな.大学生よりはおっさんだったから
大学院生か群像新人賞を狙ってる人か.
カント.大昔,「実践理論批判」を読んだが,
理解が曖昧な形でしか出来なかったね.最近
いろいろ読んでやっぱり「純粋理性批判」は
避けて通れないと思って購入したが,その前に
ヘーゲルとフッサルを読んで一気にフッサル
より昔の著作を読む気が無くなった.読み物
のギリシアと中国を除いては.デリダが「西洋
中心主義」「音声中心主義」を批判したと
偉い本に書いてあるが,普通にヘーゲル[1]を
読むと誰でも思うことだ.西洋人のデリダが
重い腰をあげてはじめて言い放ったことだった
から,批判が成立し,受け入れられただけの
ことであろう.
もしかしたら,研究をぴたっと止めてしまった
ソシュールもその辺と関係があったりして.
多分,ないか.詩人になりたかったのかもね.
生物研究者でも詩人志望を感じさせる人は
いたような気がするし.
***
i-pod3日目.
日記にいちいち記すのは,いい加減大袈裟だと
思い始めている.少し沢山入るウォークマンじゃ
ねーかとの内なる自己の現前が自らを差異化して
いる.しかし,沢山入るということが意外と重要
なのだ.以下に箇条書きにて記す.
あ)ランダムモードにすると,ラジオを聴いている
ような気がすること.
曲を隅々まで聴き倒していないようなアルバム
をも沢山蓄積すると,あ,この曲良いな,と,
アルバムあるいはアーティストを見直す新たな
機会も生まれるのだ.ラジオで大好きな曲が
かかるとエンドルフィン多発の人は多いことだろう.
それまで,知ってるけれどたいした曲じゃねー
や,なんて思っていた曲がまったく別の文脈で
聴くことがあるとき,それは同一の対象を
いわば別の「アスペクト」[2]から眺めることに
例えられる.
い)何百曲も蓄積されているのでイントロで次の曲
へ送ってしまう事が多い.
あ)とい)から以下のことが言える.つまり,
大容量音楽装置によって,日常にて偶然の出会い/再会[3]
を歓待する理性(あ))と,現在のシチュエーションに
最適な音楽を期待する理性(い))が対立している,と.
[1] "歴史哲学講義" G,ヘーゲル 岩波書店
[2] "哲学探究" L.ウィトゲンシュタイン 大修館書店
[3] "孤独の発明" P.オースター 新潮社
***
上記あ)について.
偶然の想起を求める/想起したくないことまで.
6年ぶりくらい*1に聴いたGNR"November Rain"
そのPVでは,ウェディングドレスの花嫁が投げた
花束が自らの墓に届くというのを想起した.
*1 実際には昨年のサマソニでデブアクセル
拝見,生11月雨拝聴.
父親からの電話で,会ったことはなかったが
何れ絶対会う可能性のある人が亡くなったことを
聞いた.
結婚式後1ヶ月以内だった.酷すぎる話だ.
詳しい状況をネット新聞で検索していることに
なんだか悲しいとか虚しいとかとは違う胸糞の
悪い2次的感情が発生する.
…
We’ve been through this auch a long long time
Just tryin’ to kill the pain
Do you need some time...on your own
Do you need some time...all alone
Everybody needs some time...
…
閻魔帳?
死による別れはすべての可能性を消失させる
力があるのかもしれない.うまく言えない.
必死に長い文章を書いていた.論文を書いて
いるのだな.大学生よりはおっさんだったから
大学院生か群像新人賞を狙ってる人か.
カント.大昔,「実践理論批判」を読んだが,
理解が曖昧な形でしか出来なかったね.最近
いろいろ読んでやっぱり「純粋理性批判」は
避けて通れないと思って購入したが,その前に
ヘーゲルとフッサルを読んで一気にフッサル
より昔の著作を読む気が無くなった.読み物
のギリシアと中国を除いては.デリダが「西洋
中心主義」「音声中心主義」を批判したと
偉い本に書いてあるが,普通にヘーゲル[1]を
読むと誰でも思うことだ.西洋人のデリダが
重い腰をあげてはじめて言い放ったことだった
から,批判が成立し,受け入れられただけの
ことであろう.
もしかしたら,研究をぴたっと止めてしまった
ソシュールもその辺と関係があったりして.
多分,ないか.詩人になりたかったのかもね.
生物研究者でも詩人志望を感じさせる人は
いたような気がするし.
***
i-pod3日目.
日記にいちいち記すのは,いい加減大袈裟だと
思い始めている.少し沢山入るウォークマンじゃ
ねーかとの内なる自己の現前が自らを差異化して
いる.しかし,沢山入るということが意外と重要
なのだ.以下に箇条書きにて記す.
あ)ランダムモードにすると,ラジオを聴いている
ような気がすること.
曲を隅々まで聴き倒していないようなアルバム
をも沢山蓄積すると,あ,この曲良いな,と,
アルバムあるいはアーティストを見直す新たな
機会も生まれるのだ.ラジオで大好きな曲が
かかるとエンドルフィン多発の人は多いことだろう.
それまで,知ってるけれどたいした曲じゃねー
や,なんて思っていた曲がまったく別の文脈で
聴くことがあるとき,それは同一の対象を
いわば別の「アスペクト」[2]から眺めることに
例えられる.
い)何百曲も蓄積されているのでイントロで次の曲
へ送ってしまう事が多い.
あ)とい)から以下のことが言える.つまり,
大容量音楽装置によって,日常にて偶然の出会い/再会[3]
を歓待する理性(あ))と,現在のシチュエーションに
最適な音楽を期待する理性(い))が対立している,と.
[1] "歴史哲学講義" G,ヘーゲル 岩波書店
[2] "哲学探究" L.ウィトゲンシュタイン 大修館書店
[3] "孤独の発明" P.オースター 新潮社
***
上記あ)について.
偶然の想起を求める/想起したくないことまで.
6年ぶりくらい*1に聴いたGNR"November Rain"
そのPVでは,ウェディングドレスの花嫁が投げた
花束が自らの墓に届くというのを想起した.
*1 実際には昨年のサマソニでデブアクセル
拝見,生11月雨拝聴.
父親からの電話で,会ったことはなかったが
何れ絶対会う可能性のある人が亡くなったことを
聞いた.
結婚式後1ヶ月以内だった.酷すぎる話だ.
詳しい状況をネット新聞で検索していることに
なんだか悲しいとか虚しいとかとは違う胸糞の
悪い2次的感情が発生する.
…
We’ve been through this auch a long long time
Just tryin’ to kill the pain
Do you need some time...on your own
Do you need some time...all alone
Everybody needs some time...
…
閻魔帳?
死による別れはすべての可能性を消失させる
力があるのかもしれない.うまく言えない.
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