レンズと精神

2003年5月6日
朝起きたらコンタクトが眼に引っ付いていた.
いつの日か水晶体からレンズが遊離するような妄想.

東急コーチの音が遠ざかってゆく.
いつもは意識の表層には決して現れ出ることの
ない知覚刺戟が今日に限って強調された.

午後9時という時間,気温,湿度,等の環境変数が
そうさせたのか,ぼくは,スイミングスクール帰り
の暖房が聞き過ぎた送迎バスの中で
まどろんでいた.

暗い夜道をひた走るバス.
友達が一人また一人下車してゆく.
いつもぼくは最後から2番目の乗客だった.
しんしんと降りつづける粉雪が,
すべての音を吸収する.
沈黙の裾野の住宅街に,
ディーゼルエンジンの音だけが響きそして
遠ざかる.



ぼくは,夜食のことを考える.
いつもより早い晩飯を食い,
泳ぎ疲れた小学生の食欲は常に満たされない.



そして今ぼくは,
夜食材料を買ってきた.
胃は十分に満ちている.
明日の胃の調子のことを考えて,
ビールを飲もうか悩んでいる.

そうした現実の中心に位置するシナプスで,
音のレンズ越しに知覚された世界は,
いつまでもそのままに留まっているのだった.

今日も,少しばかり飲まなくては眠れそうも無い
ことはわかっているのだが.

明日からメルロ‐ポンティ「眼と精神」でも
読もう.買ってきたことを忘れかけていた.

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