いまだファルコンについて思いなす
2002年11月15日たまに,突拍子もなく,懐かしい曲が,
一瞬のうちに,記憶の動画イメージを
引き出す時がある.いままで,一度も
想起したことのないような記憶でさえも.
80年代商法に無抵抗に反応している
ぼくは,ある日CD屋で80年代コンピレ
ーションものをた試聴していた.大体は
興味なしだったが,ある曲を聴いて
突然,家族の団欒を再体験した.
白銀に染まる宮の,一角の明かりの下で,
ソファや床でゴロゴロする三兄弟.
キッチンであらいもの(あるいは別のこと)
をする母親,子供と同じTVを半ば閉じそうな
瞼で観ている父親がいた.
スナック菓子の油は,嗅覚や皮膚に温暖な
刺戟をあたえ,外界のキタキツネに反応する
外界の愛犬の忙しない脅し文句が時おり聞こ
えた.
「早く部屋に戻って独りの時間を過ごしたい」
という思いは,この映画によって完全に抑圧
されたようだった.
…
幕が降りたとき,父親の瞼は相反する極の
磁力がはたらき,ぼくは主題歌を口ずさんで
いた.
"Never Ending Stooooooory〜〜〜"
高島屋のCD屋の試聴機の前の数分間,
ぼくはアチラへイッていた模様.
その証拠に,コチラへ帰ってきた時の
ディスイリュージョンの心境,手っ取り
早く言えば,ちょっと泣きそうになった.
『感動した映画』は?と聞かれても
多分この映画をあげることはない.
"感動した",というよりも,ぼくの個人的
な記憶との結束が激しい映画,とでも
いった方がピンと来る.
本当に終わらないのだ.一切の客観性を見捨て,
夢想が続いている限り,ぼくは,「ファルコン」
から降りることはない.
一瞬のうちに,記憶の動画イメージを
引き出す時がある.いままで,一度も
想起したことのないような記憶でさえも.
80年代商法に無抵抗に反応している
ぼくは,ある日CD屋で80年代コンピレ
ーションものをた試聴していた.大体は
興味なしだったが,ある曲を聴いて
突然,家族の団欒を再体験した.
白銀に染まる宮の,一角の明かりの下で,
ソファや床でゴロゴロする三兄弟.
キッチンであらいもの(あるいは別のこと)
をする母親,子供と同じTVを半ば閉じそうな
瞼で観ている父親がいた.
スナック菓子の油は,嗅覚や皮膚に温暖な
刺戟をあたえ,外界のキタキツネに反応する
外界の愛犬の忙しない脅し文句が時おり聞こ
えた.
「早く部屋に戻って独りの時間を過ごしたい」
という思いは,この映画によって完全に抑圧
されたようだった.
…
幕が降りたとき,父親の瞼は相反する極の
磁力がはたらき,ぼくは主題歌を口ずさんで
いた.
"Never Ending Stooooooory〜〜〜"
高島屋のCD屋の試聴機の前の数分間,
ぼくはアチラへイッていた模様.
その証拠に,コチラへ帰ってきた時の
ディスイリュージョンの心境,手っ取り
早く言えば,ちょっと泣きそうになった.
『感動した映画』は?と聞かれても
多分この映画をあげることはない.
"感動した",というよりも,ぼくの個人的
な記憶との結束が激しい映画,とでも
いった方がピンと来る.
本当に終わらないのだ.一切の客観性を見捨て,
夢想が続いている限り,ぼくは,「ファルコン」
から降りることはない.
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