読書について

2002年10月29日 読書
今日は,小林秀雄の「ドストエフスキー
の生活」にはまり,なおかつ,仕事も
一段落ついたので,18時50分に会社を
出てみた.ドストエフスキーと言えば,
その昔ぼくは,ミハエル・バフチンの
「ドストエフスキーの詩学」という本を
買ったことがあるが,今に至るまで読ん
でいない.

ブ厚い本に関して大体言える事だが,
集中的に読書を可能にする時間が予め
確保できないと読み始める気がしない.
中断されながら何年も要して読んでも
よいものも中にはあるが(e.g.ぼくの
場合は,プルースト,埴谷雄高…),
基本的に一気通貫が求められるように
思える.

もちろん,ドストエフスキーの「罪と
罰」や「カラマーゾフの兄弟」なんかは,
是非とも寝る間も惜しんで読みたい作品.
(あくまでもぼくの場合).他には,
三島由紀夫4部作だとか,チャンドラー
「長いお別れ」,飯田「言語哲学大全」
だとか,ウィトゲンシュタイン「哲学探
究」だとか..端的な一般化をすれば,
コンテンツ量が豊富な作品になればなる
ほど,時々やってくる波やクライマッ
クス(あるいは初期微動やS波,P波?)の
周期が増大するため,乗り遅れは致命的
だといえるのではないだろうか.何れに
せよ,長くても短くても,途中で「つま
らん」という烙印を捺さざるを得ない場
合は,当然no resume. 逆にresumeして
その後また中断せずに読みきることの方
が希である.

これから読もうとする本を前にして,以上
のようなことはぼくはおよそ考えていない
だろうし,考えるべきではないだろう.何
かにつけて,帰納的に自分が頻繁に行う行
為に何らかの規則性を発見し,そこから一
般法則を見つけたいという衝動は多くの人
に見られることではないだろうか? 今後
は読書に限らず,あんなことや,こんなこ
とについても一般化して見たいと思うが,
自尊心と羞恥心がそれを許さないのである.

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