終焉

2001年2月20日
今日は論文発表の日だ!!
うまくいけば,すべてが今日で終わる.
2,3の作業を除いて.

だからいまぼくはビールを飲んでいる.
今日は超早起きしなきゃいけないにも
かかわらず,眠れなさそうな予感がす
るからだ.不規則ゆえ.

バイトもやりたいね,また.
できれば,大学生多いとこ.
人としてのココロの価値が低いassholeが
すくないところ.

ああ,あほな客のことを思い出すと,
今でもむかむかする.はきそう.
人の器のでかさは,そいつが店に行ったときの
店員との応対で計ることができるとおもう.

この世には,生きたくても生きれない
高貴な人間がいる中で,生きる価値も
ないくせに,のうのうと生きてるやつらが
大勢いる.しかし,こう書いている俺もも
しかしてそうだといわれることもあるかも
しれない.それを自分で思うようになると
すれば,自ら死ねばよい.

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ぼくの中で一つの時代が終わりを迎えた.
ぼくの学生時代に突然(いや,ある程度予想は
できることではあったが)ピリオドが打たれた.
これで,研究のことを考えなくて済む,という
思いと,これで当面は研究とはお別れか,という
2種類の対称的な思いが錯綜する.

4月から自活すべく,早速明日からバイトを
探すことになろう.そして,再来年度以降の
生活のための計画も立てねばならないだろう.

一気に楽になった.
しかし,悔しさは消えない.研究自体はわりと
順調に行っていたから.

そうだ,いいかげんこのカンマ-ピリオド表記
にも別れを告げよう。日本語には、やっぱりこ
っちが似合う。

何も考えられないし,とくに考えるべきことは
無い。生活?ケンシロウならこう言うだろう,
「おまえはまだ生きている」
そうか、そうだ、多分そうだ。

先にも述べたが,研究が出来なくなることへの
ブルーは多々感じ,同時に,その道の扉を叩き,
自らの力でそれを開けたままの状態に保つことが
出来なかったことに対する後悔と屈辱は一生忘れ
ることは出来ないだろう。しかし、来るかもしれ
ないと少し予感した絶望感のようなものは無いし、
自棄も無い。研究路線以外の後悔は何も無いし、
というよりも、
「何も無い」
文字通り。

金も無い。
女も無い。
職も無い。
犬も無い。
クレジットカードも、社会的地位も無い。

いわば、リセット。
ドラクエで全滅しそうなときは、みんなよく
押したもんだ。ぼくの場合は、賢い先達が
ぼくよりも早くそれを押してくれたという
違いだけで、特に変わるところはない。

その中でかけがえの無い例外たちの存在は
よりいっそう大きく見えたりもする。

さよなら、すずかけ台。
さよなら、大岡山。
そして、さよなら、関東。だけは避けたい
ところ。

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