手をとりあって

2001年1月23日
はわわ.久々に平日に寝過ごした.
前は毎日だったのに,たまにやると
喪失感.

今日はステーキを食いに起きたよう
なもんだ.グランベリーのアウトバック
ステーキ.

Hのメールによるとなんと,
南町田にカルフールが進出してきた
らしい.まじかよ,でも,幕張の時
ほど騒がれてねぇな,ガセだろ,
とか思いながらグランベリーの人工
的な道路の真中を歩いていると,
あらぬ方角のところに「KFC」の文字.
むむ?と思ってよくみると,
「カルフール」のでかい看板が.
ああ,また変わってしまったこの街が.
但し,寿司詰10点セット380円って
凄いと思う.

Hは宮崎をつれてきた.うん,
たしかにお前やせたわ.だが,その旨は
決して伝えることはしない.とか何とか
ボケーっとしてると早くも宮崎の攻撃
が始まった.

「あははは,髪が・・・苦労してんだね」
「え?俺の髪,変かー?」

そうか,やつと会うのは数ヶ月ぶりだ
ったから,荒くれ猟師の如く伸びきった
この髪に対して違和感をとなえるのは
理がある.しかし,そんなところで,俺
も負けてはいられない.

「100kg切ったんだ?おめでタイ」

まぁ,言葉にするだけ無駄か.
なんてか,難しいニュアンスになるが
確実に楽しんでいる.

昨日の進展にあぐらをかいている.
アドヴァンテージを確実に消費しながら.
もっとも,アドヴァンテージなる単語は
概念の根本を自分流にアレンジしたもの
だが.

青葉台で久々のスターバックス.さすが
にフラペチーノは断念した.カフェモカ.
なんか,よくわからないけど,はじめて
「まずい」と思った.やっぱ次回は冬だけ
どフラペを頼もう.

帰るのもなんだったから,地元のミスド.
超久々にフーコーを読み直す.なんか,
哲学というよりも,文学として読んでみた
い衝動に駆られる.哲学は妥当なことを
言わなくてはならない義務があるが,文学
にはそれはない.その相違点を抜きに語れ
ば,フーコーとボルヘスは表裏一体に
なっていると思うといっては過言だろうか?

また雪が降るとの週間予報.
雪といえばQUEEN.とくにBrian Mayの
作った曲たち.偽ツインリードの暖かい
音は雪との相性ばっちり..そうね,ギター
の音を暖炉とペチカと喩えれば,降りしきる
雪に吸い込まれる音がブライアンの声で
あったり.

Teo tori atte kono mama iko,
Aisuru hito yo.
Shizuka na yoi ni hikari wo tomoshi,
Itoshiki osie wo idaki.

( Let us cling together as the
Years gone by.
All my love, All my love.
In the quiet of the night,
Let our candle always burn,
Let us never lose the lessons
We have done.
)

ってのはbyフレディーだが,日本語の
発音がスバラシイ.もちろん,「正しい」
日本語とは少し違うのだが,とにかく,
奇麗に発音しているのだ.
こう,ローマ字にするとなおさら魅惑
的な言語に感じるのです,日本語よ.

言語学者Gundertは,日本語をローマ字
で勉強している際,その発音を想像し,
「なんて美しい音韻なんだろう」と
思っていたらしい.しかし,来日して
実際の日本人が話す音を聞いてその
醜さ愕然としたとも.

じゃあ,こうしよう,
「フレディ・マーキュリーのような日本語 
 を発音する.」

徒然書きすぎた.まとまんねぇ.
あしたはMr.スチュワートだ,そうだ,
Mr.スチュワートの日本語の発音にも
注目しようっと.

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