ぼくの読書史

2001年1月17日 読書
今日は本屋に行った.
「今日も」だろ.

しかし,なぜだろう.こんなに
本屋に行くようになったのは.
明らかにこの数年のとある地点
において,ぼくの趣みの種は改造
された.まぁ,以前も,全く本屋
に行かなかった,ってわけじゃあ
ないのだが.でも,そうね,その
頃は雑誌目的のみだったと思う.

予備校時代,とある友達が,
「俺って一日一回本屋に行かないと
気がすまねんだ.あの書物に囲まれた
感じが良いんだ」
と言っていたが,その時まさかぼく
がその病に冒されるなんてことは,
ぼくが,毎日ビールを飲むように
なる亊以上に想像し難いことだった.

本なんて読むものか,というのが23歳
までのぼくの基本的姿勢.母親が超読書
好きで,記憶にあるときは既にぼくは
強制的に何がしかのものを読まされて
いた.幼少の頃は偉人の伝記を読まされた.
まだこの頃は楽しく読んでいたと思うが,
じきに,読書なんて大嫌いと思うように
なるのだ.

小学生の高学年の頃には既に毎週日曜日
の午前は家族そろって図書館通いをする
ようになっていた.

記憶している限りでは,初期の頃は
西区の山の手図書館だったが,いつの間
にか,手稲区の曙図書館を利用するように
なっていた.山の手図書館に行っていた頃
は週に一度の図書館通いが嫌で嫌でたまら
なかった.母親が「何か毎週一冊読みなさ
い」というからしょうがなく一冊だけ
字の書いた本を借り,他は全て写真や
絵がたくさん載っている本や,実用書
チックな(といってもガキだから,
「手品の本」とか,「引田天工」とか
そんな感じ)ものばかりだったと記憶する.

曙図書館に行くようになってからは
(多分中学生ぐらいの時?)以前ほど
の嫌気はなかったと思う.脳もある程度
成熟し,また,ぼくも早熟だったので
「限られた状況下での楽しみ方」を
取得したのかもしれない. 無論この頃
も,文学的な香りのするものは一切
受け付けなかった.ぼくが同時はまって
いたのは,「エンジンの仕組み」だとか
「スイスの景色」だとか,そんな感じ
だったと思う.但し,ローラ・インガルス
・ワイルダーの著作は除く.

その後,高校生になった時くらいから,
ぼくは,家族で図書館のしきたりから自然
と逃れられるようになっていた.

高校の時,読書感想文で読んだ志賀直哉と
トルストイや,独自のルートで発見した
安部公房やフロイト,太宰等に一時的に
はまっただけで,ほとんどの時間は,読書
なんて,テニスよりも嫌いなことだった.

大学に入り,一人で暮らすようになると
書物離れは加速した.読むものといえば,
年に二回,テスト勉強の時にだけ読む
テキストくらい. 無論,ピンポイントで
なんとなく書を読むことはあったが,
それは「気まぐれ」的なものだったと断定
できる.

大學2年の終わりに付き合い始めた彼女は,
自称「文学少女」だった.少女かどうか
は問題外だが,まぁ,本はよく読んでいた
と思う.彼女に村上春樹と渡辺淳一を教わった
が,まだ,自発的に文学に手を出そうとは
微塵も思わない. ソフィーの丗界を読んだの
はこの辺りだったのかな.まぁでも,哲学
にも興味本位以上の者はなかった.

彼女が留学している隙に知り合った某女性
には,りんぐ・らせん・ループを教わった.
貪るようにあっという間に読み尽くして,
読後感も爽やかだったと記憶するも,まだ,
自発性はない.

じらすのはよそう.ぼくが文学にどっぷり
つかるようになったのは,あるニュースを
境にしてから.

「俺とタメのやつが芥川賞?,へぇ
やるじゃねーか,京都大学?ふーん.」
平野啓一郎氏のことである.ワイドショー
かなにかのインタビューを観たのが契機
となったと思う.ただその時は,ぼくと
同じ年の輩がそんな賞をとること自体が
信じられなくて,彼に対する興味は増しに
増した.先ずは彼の言及する鴎外や三島と
やらを読んでやろうじゃないか,え,どん
なもんよ,俺を感動させることができるの
かよ.三島は一度も読んだことがなかった
が,鴎外に関しては過去に「つまらん」と
して投げ捨てた覺があったほど.

先入観やバイアスを極力排除するよう努め
て書に向かう.鴎外の「かのように」,
「ヰタ・セクスアリス」,「阿部一族」,
「雁」などを非常に興味深く読むことが
できたのは一つの驚きだった.三島に関して
は,先ず始めに読んだのが「潮騒」だった
のだが,これがものすごい衝撃で今でも
この人のすごさを語るにはこれ抜きには
語れない作品となっている.これが23歳の
時のお話.

・・・・・・・・・・・・

今では廃人に近い.せめて俳人になれれば
良いのだが.

嗚呼酔ってきて何を言っているのかわからない.
嗚呼論文が進まない!!

ココが変だよ日本人.
今日は「愛人VS外国人」
じじいの生きてるおもちゃとして生きている
愛人.まぁ今はいいのかもしれない.俺の知った
ことじゃないし,好きにしてくれ.ただ,
そういうやつらは40になったら死ぬべきだな.
いや,嫌悪感からじゃなくて,同情から.
いちど愛人業をいとなんで,そういう稼ぎ方
を覚えてしまうと,職を失った時の対応が
ままならないだろう.よほど賢くて冷静な
ココロと明晰な頭脳を持ち合わせる天性の
才能に恵まれた女性は例外だろうが.果たして
そんな人が愛人業を営むだろうかといった
疑問はある.

そんなに金が欲しいかよ.

まぁ奇麗事はいわない.ぼくだって
もちろん少しは金が欲しい.ないと生活が
つらいし.

大切な価値観やプライド生きる上での
哲学やポリティクスを捨ててまで金に
走るのは愚かだと思えてならないのだ.

こういうぼくはけっして,金持ちになる
ことはないだろう.たとえ大金をつかんだ
としても,全てを即座につかってしまう
という悪癖もあることだし...

だから,ぼくと結婚してくれるっていう
女性にはまず,そこを説得せねばならない
だろう.

奥田民生もむかーし言っている.
「お金なんかはちょっとで良いのだー!」

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